私はそれを愉快妄想と名づけることにした。

なんだか自分でもよくわからないけど、最近楽しい。

たぶん、それは「楽しい」と思いたい私が、自分にそう思わせてるだけの「思い込み」のようなもので、被害妄想の逆みたいなものなのかもしれない。私は、今の私の状態を被害妄想ならぬ「愉快妄想」と名づけることにした。

 

私は少女漫画が大好きだ。部屋の本棚には少女漫画が引き詰められてて、「花より男子」も「君に届け」も「こどものおもちゃ」も「フルーツバスケット」もあるし、「日々蝶々」や「孤食ロボット」とかそこまで有名じゃないのもあるし、あとなんだっけ?…とりあえず、自分でも何を持ってるのかわからないレベルで、色々ある。最近、「花のち晴れ」を買った。「キャットストリート」も持ってる立派な神尾葉子のファンである。

 

昨日、「THE MUSIC DAY」を見た。

私は少女漫画大好きだから、受験シーズンまっしぐらの時にやっていたドラマ「花より男子」は、勉強を中断してでも必ず見るくらい楽しみにしていたし、もっといえば唯一の息抜きだった。私にとって、「花男」は特別だった。私には訪れなかった青春だった。

私みたいな人がたくさんいることを平野紫耀は知っているみたいに、むしろ、平野自身がそうであるかのように、松本潤を呼び寄せしてくれた。呼び寄せしてる姿は、道明寺司が大好きな神楽木晴にしか見えなくて、「ありがとう」と何度も心の中で叫んだ。平野を見ていて良かったと思った。平野を見つけてよかった。平野が神楽木晴で良かった。少女漫画もジャニーズも好きになって良かった。嬉しい。楽しい。ありがとう。この感情を何と呼ぼうか?この感情は妄想なのだろうか?私にはまだわからない。

 

誰かの小さな行動を見つけては、一喜一憂しているファンたちを知った。「どんなときも気が抜けないなんてテレビに出るって大変だな」と思ったけれど、誰かが何かを間違えたり、気を抜いていたり、ちょっとつまんなさそうな顔をしていたりしても、「かわいい」とか言ってしまうファンたち、最高だなって思ったし、ちょっとショックを受けながらも、ちゃんとしっかり見つけてあげられるファンたちが、私にはまた楽しかった。そのアイドルのいろんな過去を見て、なんだかよくわからない妄想の後に「かわいい」だの「それは違う」だの感情を持ってしまうのだから、妄想はほんとうに愉快だ。平野が何を思って、松潤を隣に呼んだかは、ほんとうはわからないけど、私は自分の都合の良いように愉快な妄想を何度でも繰り返す。それも楽しい。私はあの自慢するみたいな屈託のない笑顔を信じている。
私はこの妄想たちも「愉快妄想」と名づけることにした。

 

「楽しい」という感情が、たとえ、思い込みの愉快妄想だったとしても、自分で勝手に「楽しい」という魔法を自分にかけてしまっただけだとしても、偽物の感情だったとしても、嘘でも「楽しい」と思えることが、とにかくうれしい。

 

もういっそ「好き」とか「楽しい」とか思う気持ちが妄想でもなんでもいい。
私は楽しい妄想が好きだ。