鏡を見て誰かを思い出すなら、その誰かは好きな人だと思う

みなさんは、化粧鏡や全身鏡などなど、鏡を見る時に、何を思いますか?

 

私はネガティブ思考が大変得意なので、
「ああ、可愛く生まれたかったな」とか
「化粧崩れたな、最悪」とか
「太ったな、ほんと私ダメ人間だな」とか、
94%くらいネガティブなこと思うのですが、
それと同時に誰かを思い出すんです。
誰かを思い出さないことなんかないんじゃないかってくらい、誰かを思い出すんです。
鏡には1人で映るのが常なのに、鏡は1人じゃ生きていけないことを知ってるみたいに、誰かを想ってしまうのです。


それは、これから会う友達だったり、私はもう何年もいないけど片思いの人とか、さらにもう何年もいないけど恋人とか…あ…なんか悲しくなってきた……はあ…
まあ大体の人が「友達」「恋人(片思いの人)」「家族」「上司や先輩、後輩、仲間、同僚」を思い出すと思うんです。
「今の私は、ちょっとは可愛く見えるかな?」「隣にいて、少しでも誇らしいと思ってくれるかな?」「肌荒れてる。心配されるかな?」「この服だとガッカリされちゃうかな?」なんて、乙女のポリシーを持たせてくれて、いつでも「誰か」の代わりに背中を押してくれたり、叱咤してくれる存在が鏡だと思うんです。

そして、思い出す「誰か」は、「自分が好きな人」という共通性を持っていると思うんです。

 

鏡を見て思い出す「誰か」は、身近な人だけじゃないと思うんです。
私は会うことは、ほとんどないし、むしろ会ったことないことがほとんどだけど、思い出してしまう好きな人がいます。

それが、芸能人です。

「ああ、石原さとみみたいになれたらな」とか「新垣結衣みたいなメイクしようかな」とか思うのももちろんです。
ですが、人生の94%くらいは妄想で生きてる私は、「今日、芸能人と運命的に会って、友達になる」とか「実は仲良しでこれから会う」などとしょうもない設定を常に考えています。
そして、身近な人に思うのと同じく、「今の私は、ちょっとは可愛く見えるかな?」「隣にいて、少しでも誇らしいと思ってくれるかな?」などと思うのです。
「その顔でよくそんな勘違い妄想できるな」と、我ながら、かなり気持ち悪いので、どうかこの世にテレパスがいないことを願う毎日です。

 

最近、鏡を見て思い出す芸能人が増えました。
今まで、女性芸能人だけだったのに、ジャニーズという男性が現れて、いい歳のくせに、鏡に照れてます。やっぱり我ながら気持ち悪いし、何度鏡を見ても可愛くはならないので、本当に私の前にジャニーズが現れないことを祈るばかりです。(握手会など会えるイベントは参加したくない派)

 

「そのままの自分を好きになってくれない人と一緒にいても仕方ない」

宇多田ヒカルが言っていたことに対する意見がツイッター上で少し炎上していました。宇多田ヒカルの言うことに「よく言い切った!」と拍手喝采する人もいたし、「私たちはいつだって、等身大じゃどうしようもない自分を精一杯飾ってきたじゃないか。その頑張ってきた自分は間違いだと言うのか」と拍手喝采する人たちの存在を悲しんでいる人もいました。私はヒッキーの言葉にも「私もそう思う」と言いたいし、「自分を飾ることを誇りに思う」という人たちにも「私もそう思う」を送りたい。

鏡を見ていて、隣にいる誰かの想像をして、少しでも可愛く見せようとか、誇らしく思わせようとか、背伸びをしたり、精一杯飾っている私たちは、いつだって「そのままの自分じゃ、ダメ」だと思っていて、だから、笑顔は何度でも使うし、敬語だって覚えるし、「誰か」に話すために面白いネタはないのかとネットも徘徊する。 

 

「そのままの自分」を好きだという「誰か」がいたのなら、それはとても幸せなことだと思います。だけど、「好き」だから、「もっと好きになって欲しい」から、やっぱり私は鏡を見ながら、「これじゃダメ」と思い、何度でも「そのままの自分」を飾ってしまうと思うんです。

我ながらなんとも愛おしい行為ではないだろうか。

 

そもそも「そのままの自分」とは一体なんなのか?
鏡に映るスッピンの自分も、「そのままの自分」じゃないのだろうか?
わからないほど、私は私を飾りすぎてしまった。

 

だけど、自分を飾る数が増えたり、飾る質が上がっていくのは、
それだけ「好きな人」が増えたということ。
それが私には、ただただ嬉しい。

平成最後の夏、ジャニーズ初心者の私は、ジャニーズアルバム30枚(合計562曲)を聞いた

20うん年あまり、私は、ちっともジャニーズに興味なかったんです。

 

SMAPの「世界に一つだけの花」が流行していた時代、
私がその曲を知るのは、その曲が世界に流れ始めてから1ヵ月後とかで。
当時、吹奏楽部だった私は、流行歌も知らないのかと先輩にため息をつかれました。
ついでに言うと、その時の私、SMAPはキムタクしか知りませんでした。
先輩に、2回目のため息をつかれました。

 

「シンデレラガール」がものすごくいい曲で、ものすごく気に入って、なんどもヘビロテして、歌詞もいいし、曲も今っぽくていいし、褒め言葉しか出てこない1曲だなって思いまして。毎日、毎日、「シンデレラガール」聴いていたら、「そういやジャニーズっていい曲結構あるよな」って不意に思って、無性に何でもいいからいっぱい聞きなくなって、TSUTAYAで借りたのが、アルバム30枚。私の行動力、半端ないわ。自分でもびっくり。

 

借りてきたのが下記30枚。(順序は私の気まぐれ)

KinKi Kids「39」
・嵐「All the BEST! 1999-2009

・嵐「Japonism」

・嵐「Popcorn

・嵐「僕の見ている風景

・タッキー & 翼「タキツバベスト」

関ジャニ∞「8EST」

・NEWS「NEWS BEST」

・NEWS「NEVERLAND」

KAT-TUN「10TH ANNIVERSARY BEST "10ks!"」

KAT-TUN「Break the Records -by you & for you-」

Hey! Say! JUMP「DEAR.」

Hey! Say! JUMPHey! Say! JUMP 2007-2017 I/O」

Kis-My-Ft2Kis-My-1st

Kis-My-Ft2「Kis-My-Journey」

Kis-My-Ft2「KIS-MY-WORLD」

Kis-My-Ft2「I SCREAM」

Kis-My-Ft2「Goodいくぜ!」

Sexy Zone「one Sexy Zone

Sexy Zone「Sexy Power 3」

Sexy Zone「Welcome to Sexy Zone

A.B.C-Z「from ABC to Z」

ジャニーズWEST「なうぇすと」

ジャニーズWESTパリピポ」

ジャニーズWEST「ラッキィィィィィィィ7」

山下智久「エロ」

山下智久「YAMA-P」

山下智久「YOU」

山下智久「遊」

山下智久「A NUDE」

はい以上30枚です。打つのに疲れました。
この30枚である理由は、特になく、ただ単にTSUTAYAで目に止まったからです。私の気まぐれです。何か脱字ありましたら、コメント欄にてクレームを受け付けています。
TOKIOとV6とSMAPがないのは、とりあえず、私と歳の近い人たちから聴きたいと思ったからです。兄さんたちのは今度借ります。

 

このブログを書くことは、借りた時から決めていて、本当は、どのアルバムのどの曲が良かったなどと自己中なことを書こうかと思ってたんですけど、あまりにも曲が多すぎて、イヤホンから流れている曲が、どのグループの曲なのかすらもわからなくなるほどで、そういや私バカだったなと再確認すると同時に、諦めました。

 

なのですが、562曲もののジャニーズ曲をほとんど初めて聞いた初心者の私が、思ったことがあるので、ちょっと聞いてください。「いや、知ってるよw」という方が大半だと思うのですが、初心者の私は、この発見をできたことが嬉しいので、書きます。

 

「全部、イヤホンで聴くより、ライブで聴いた方が良い曲ばかり」ということです。

ああ、見えるぞ、見えるぞ、真顔でつまんなそうに「うん。そうだね?」と言うみなさんが。

 

いや違うんですよ?

私、ジャニーズとは逆の位置にいるような女性アイドルであるAKBの曲もアルバム30枚くらい聞いてて、劇場でやってる曲とかも知ってて、だけど、「ライブで見たいな」と思う曲ってあんまりないんです。前田敦子卒業コンサートである東京ドームコンサート初日にしかライブに行ったことがないのが、その証拠なんですが。なんというか、AKBの曲って、ライブで盛り上がれそうな曲いっぱいあるんですけど、サプライズ感が想像できないんです。どの曲も大好きなんですが、そこには曲を聴いたその通りの世界が広がっていて、なにせ人数が多いから、誰かがなにか変わったことをしても見逃しそうで、そこには限りない個性があるはずなのに、踊ってる子が変わろうと、衣装が変わろうと、例え誰かが振り付けをミスろうと、曲の世界は変わらない感じ。曲自体がかなりのレベルで完成されてるというか、曲自体が「アイドル」を表現してしまっているから、笑顔で踊る彼女たちを安易に想像できて、それ以上の何かが期待できない感じ。いつ聞いても、だれが歌ってても、ライブだったとしても「同じ」な気がする、サプライズ感のなさ。口パクと大人数が招いてしまった悲劇なのかもしれないけど、私は、いつも「同じ」であることを悪いことだとは思ってないし、ずっと笑顔を絶やさない彼女たちが大好きです。

 

対して、ジャニーズは、曲自体が何か未完成さがあったんです。これを歌ってる、あの子の表情が見たいなとか。その隣にいるはずのあの子はどんな笑顔をするかなとか。ライブによっての笑顔の変化にすら期待出来て、またそれによって曲の感じが少し変わる気がする未完成感。曲が、その子の些細な表現で変わってしまう感じ。セクシーな歌い方ができるところで、ファンは「キャー」などと黄色い声援を言うだろうし、それを見通しての間もあるし、そして、その黄色い声援が入ることで完成されるかのような曲。ジャニーズの曲は、そんな曲がほとんどだと思いました。なにせ人数も、全員見ることができるだけの人数しかいないし、たとえ、誰かを見ることに夢中で、何かを見逃しても、違うファンが見つけているであろう安心感。たとえ口パクだったとしても、毎回「同じ」な気がしないサプライズ感が、期待できるなと思ったんです。1つ1つの曲で、ちゃんと個性を表現できて、個人を応援しがいのある感じ。どんなに歳をとっても同じ人が歌ってくれるだろうから、未来の想像も含めて、どこまででも想像できる楽しさと、その変化を見ることの喜び。だから、ジャニーズは、コンサートもイベントも倍率高めで売れるのだろうなと思いました。

 

「アイドル」じゃない歌手の例をあげます。

先日、宇多田ヒカルの「初恋」を円盤で買ったんですが、それはそれは完璧に曲自体が完成されていたんです。どの曲も手を抜くことなく。ヒッキーのいる時代に生まれて良かったなと思えるほどで。天才という言葉がこれほど似合う歌手、他にいるんだろうかと思えるほどで。曲の「未完成さ」はもちろんないですし、ヒッキーは生歌でCD音源みたいな完璧な歌を歌えるし、サプライズ感あまりないと思います。ライブ行ったことないので、音楽番組からの想像ですが。だけど、私はちゃんと「ヒッキーのライブに行きたい」と思ったんです。AKBと何が違うかと言ったら、やっぱり、「プロの仕事」というか「圧倒的クオリティの音楽」見たさだと思います。アイドルはプロじゃないかと言えば、答えはNOなのですが、アイドルって、どこか未熟さがあってこそ光ると思うんです。「変わってしまうことの愛おしさ」含めてのアイドルだと思うんです。成長過程を楽しむといえばいいのでしょうか。ヒッキーに変化がないかといえば、これの答えもやはりNOなのですが、その変化は、プロの変化だと思います。たとえば、曲にアレンジいれるとか、そのアレンジもオリジナルと対峙できるほどで、歳をとったら、歌い方とか声質とか考え方とか色々変わるだろうけど、「圧倒的クオリティ」であることは変わらない。「ヒッキー」というブランドに少しも歪みがないみたいに。対して、アイドルにはいろんな曲をやって、自分の輝ける場所を見つけて欲しい。アイドルは、圧倒的クオリティじゃなくてもいいから、「がんばってる君」が見たいと思える存在で、アーティストと呼ばれる中でも特殊な分類だと思います。

 

ジャニーズの曲を562曲も聞いて、最初はみんな同じ声に聞こえたけれど、聞いているうちに、誰の声なのか少しは判別できるようになって、やっぱりアイドルグループといえども「個性」を表現できるところがたくさんあった方がいいなと思いました。それを一番表現できるのが音楽だと思うし、音楽がアイドル達にとって、輝きを増せる場所であり続けて欲しいものです。


平成最後の夏に、ジャニーズのアイドルとしての強さを知った私でした。

私はそれを愉快妄想と名づけることにした。

なんだか自分でもよくわからないけど、最近楽しい。

たぶん、それは「楽しい」と思いたい私が、自分にそう思わせてるだけの「思い込み」のようなもので、被害妄想の逆みたいなものなのかもしれない。私は、今の私の状態を被害妄想ならぬ「愉快妄想」と名づけることにした。

 

私は少女漫画が大好きだ。部屋の本棚には少女漫画が引き詰められてて、「花より男子」も「君に届け」も「こどものおもちゃ」も「フルーツバスケット」もあるし、「日々蝶々」や「孤食ロボット」とかそこまで有名じゃないのもあるし、あとなんだっけ?…とりあえず、自分でも何を持ってるのかわからないレベルで、色々ある。最近、「花のち晴れ」を買った。「キャットストリート」も持ってる立派な神尾葉子のファンである。

 

昨日、「THE MUSIC DAY」を見た。

私は少女漫画大好きだから、受験シーズンまっしぐらの時にやっていたドラマ「花より男子」は、勉強を中断してでも必ず見るくらい楽しみにしていたし、もっといえば唯一の息抜きだった。私にとって、「花男」は特別だった。私には訪れなかった青春だった。

私みたいな人がたくさんいることを平野紫耀は知っているみたいに、むしろ、平野自身がそうであるかのように、松本潤を呼び寄せしてくれた。呼び寄せしてる姿は、道明寺司が大好きな神楽木晴にしか見えなくて、「ありがとう」と何度も心の中で叫んだ。平野を見ていて良かったと思った。平野を見つけてよかった。平野が神楽木晴で良かった。少女漫画もジャニーズも好きになって良かった。嬉しい。楽しい。ありがとう。この感情を何と呼ぼうか?この感情は妄想なのだろうか?私にはまだわからない。

 

誰かの小さな行動を見つけては、一喜一憂しているファンたちを知った。「どんなときも気が抜けないなんてテレビに出るって大変だな」と思ったけれど、誰かが何かを間違えたり、気を抜いていたり、ちょっとつまんなさそうな顔をしていたりしても、「かわいい」とか言ってしまうファンたち、最高だなって思ったし、ちょっとショックを受けながらも、ちゃんとしっかり見つけてあげられるファンたちが、私にはまた楽しかった。そのアイドルのいろんな過去を見て、なんだかよくわからない妄想の後に「かわいい」だの「それは違う」だの感情を持ってしまうのだから、妄想はほんとうに愉快だ。平野が何を思って、松潤を隣に呼んだかは、ほんとうはわからないけど、私は自分の都合の良いように愉快な妄想を何度でも繰り返す。それも楽しい。私はあの自慢するみたいな屈託のない笑顔を信じている。
私はこの妄想たちも「愉快妄想」と名づけることにした。

 

「楽しい」という感情が、たとえ、思い込みの愉快妄想だったとしても、自分で勝手に「楽しい」という魔法を自分にかけてしまっただけだとしても、偽物の感情だったとしても、嘘でも「楽しい」と思えることが、とにかくうれしい。

 

もういっそ「好き」とか「楽しい」とか思う気持ちが妄想でもなんでもいい。
私は楽しい妄想が好きだ。

不変という夢を見続けて

あの子が髪を切っていた。

可愛い可愛い可愛いと飽きずに何度も思ったけど、そこにはもう神楽木晴はいないのだと思うと、可愛いと思うたびに、寂しさがこだまする。

 

この世に不変はあるのだろうか。
似たような毎日も、ひねれば水が流れる蛇口も、夜になれば照らしてくれる丸い月も、雲の向こうの青空も、何も変わっていないとは思えない。
だけど、私はいつだって、変わらないものを探してしまう。誰かが、何かが、何も変わらずに、そこにいてくれるのだと思いたい。変わらない毎日につまらないと嘆きながら、明日が何も変わらず来ることを頑なに願っている。

 

渋谷すばる関ジャニ∞の隣に「最後」という文字が並ぶニュースが最近目立つ。
その文字を見るたびに、不変や永遠という言葉は本当は存在しないのだと、泣きたくなる。最後という言葉は、もう次はない、もう見られないという意味で、そう私にこっそり悲しい約束をしてくる。したくもない約束をしてくる。言葉なんていつもそうだ。いつも勝手だ。

 

いくら言葉で表されても、これが最後ではないのだと、また同じ光景が見られるのだと、私はいつでも信じてしまう。不変なんてないってわかっているのに、いつでも私は不変を夢見てる。

 

SMAPだって、いつかは5人がまた揃うのだと信じているし、モーニング娘。のOGが楽しそうに歌うみたいに、私が好きだった光景に、見慣れた景色に、最後なんかないのだと、いつだって信じてる。人は叶わない夢だと笑うのだろうか。

 

だけど、不変なんかどこにもない。
今日と同じ明日は永遠にこないし、大好きな人たちは一生懸命変わろうと努力している。だから、私は大好きなんだ。頑張って生きた今日も、まだまだだと歩き続ける人たちも、変わってしまうから、大好きなんだ。いつかは無くなってしまうから、愛おしいんだ。

 

不変はどこにもない。
不変は私のワガママな夢だ。叶わない夢だ。私のことなんか置いて行って、どんどんステキを磨いたらいい。

ただ私は願う。
変わってしまった後も、幸せだけは変わらず続くことを。これだけは叶えさせてくれ。

大人になったら、好きがわからなくなった

アンパンマンとかセーラームーンとかウサギとかネコとか、小さい頃は、みんなが好きなものが好きだと思えていた。大人になってみたら、みんなが好きじゃないものを好きだと言うようになった。どちらも本当にそれが好きなのかと聞かれたら全く自信はない。

 

小さい頃、私はいつでも主人公が好きで、だけどいつでも、アンパンマンよりバイキンマンが好きだと思える子に憧れていたし、月野うさぎと同じ髪型をしながら、「パラパラが可愛い」と小さなキャラクターを見つけられる感性に嫉妬していた。それは、「みんなと一緒」であることの安心感が、私に好きという幻を見させていたのかもしれないし、ただ単純に私は主人公にちゃんと目を向けられて憧れられる、大人にとって扱いやすい平均的な感性を持っていただけなのかもしれない。

 

どこにでもいる子になりたくない子ってどこにでもいるよ。と坂元裕二は言っていた。やっぱり私もどこにでもいる子になりたくないから、大人になって、主人公を好きかもしれない思う気持ちに気づかないふりをして、それが私の個性だと言わんばかりに主人公以外の名前の横に好きという文字を繋げる。センターで踊るアイドルに叶わない小さな一目惚れをしながら、テレビに数秒だけ映る後ろで踊る子の可能性を見つけて、ホッとしている。

 

でも、どうやら多分私は、主人公が好きな平均的な感性の持ち主で、月野うさぎ前田敦子平手友梨奈佐藤勝利平野紫耀もやっぱり好きで、いつだって目を向けてしまうのは、立ち位置0で、他のみんなに背中を見せているその子たちなのである。

 

私は鈍間で鈍臭かったから、50m走は本気で走って13秒で、マラソン大会は毎回圧倒的にビリッケツで、ゴールする頃には閉会式終わってるレベルで、そんな私は他人の背中ばかりを見るしかなかった。だから、「背中を見せる」ということに、どうしようもないくらい不安と憧れがあって、それができる人に、それをするしかない人に、尊敬と心配ばかりが積もっていく。だけど、同時に「背中を見るしかない」後ろの人たちにも、感情移入してしまうから、いつかの背中ばかり見ていた自分を重ねてしまうから、私はいつだって、好きが増えていく。

 

みんな大好きだと言ってしまえば、全てが丸く収まるのだけれど、それでもやっぱり特別を作りたいのが、人間のしょうもないところで、私のしょうもないところだ。特別だと決めた人を特別だと声に出すくせに、他の人に浮気しそうになったり、「みんなと同じは嫌だ」とか思ったりして、好きがどんどんわからなくなる。特別はやっぱり私だけの特別であって欲しいという束縛力が妄想力へと進化し、毎日よくわからない非日常な世界へ迷い込んでは出口がわからずに、いつでもお花畑にいるかのように口角ばかりが上がっている。なのに特別は本当に特別なのかもわからない。

 

私はいつだって、自分にも恋する気持ちにも自信がない。

いつか当たり前にすると思っていた恋は、全然当たり前になんかやってこないと知る。

 

 

ほんとしょーもない(言いたいだけ)

まだまだだな私。

 

「花のち晴れ」9話感想。それさえなければ良かったのに(ネタバレちょっとあり)

愛莉「私、音と晴推しだから」

 

私もです。愛莉さん。


神推しすぎて、「そんなの一択だろ!好きな女を信じろよ!!!!!」から「とられるぞ!!!こいつを一番に考えろよ!!!」のシーンをドラマ見終わってから、オンデマンドでも10回はエンドレスリピートしましたもの。今日も帰ったら見るつもりですもの。

 

音ちゃんのことわかりまくってる晴、かっこよすぎだし、
近衛のことまで理解しちゃう晴、優しすぎだし、
黄色い旗持って横断歩道渡る晴、可愛すぎだし、
何と言ってもバックハグからの「1分だけ…」のセリフ、切なすぎ。
思わず目をそらしてしまったわよ。ガン見したいはずなのに、何度もそらしてしまったわよ。どうしてくれようか神楽木晴よ…てゆうか平野氏、演技力あげたな…

 

 

ああもう! 
「めぐりんと付き合ってる」っていう設定がなかったら、
今週の晴は10点満点だったのに!!!!!!!!パパが満点あげないなら私があげるのに!!!!!!!!!

 

 

 

はあ…

 

 

 

何はともあれ

来週は西門さんが出ますってよ。

どんな絡みがあるか楽しみです。

花男を1から見たくなってきた。

 

 

 

映画「ピンクとグレー」感想。これが書けるって、ジャニーズは闇が深いと思った。(ネタバレなし)

今、話題の人。NEWSの加藤シゲアキくん。

週末は1本の映画をTSUTAYAで借りて観るようにしている。

 

それでも私はあなたを応援するよ。
という意味を込めて、今回はこの映画を選んだ。

 

 

 

 

 

この映画は
才能があって、器用に俳優として売れていくゴッチと
対照的に不器用にエキストラ役ばかりをしているリバちゃん
の2人について描かれている。

多分、加藤くんはどっちも自分なんだと思う。

デビューして活躍してるのだからゴッチにもなれるし、
以前NEWSとして一緒だった山Pとかと比べちゃうとリバちゃんでもあると思うし。

だからこれが書けたんだと思う。
ジャニーズという男ばかりの大きなグループに属しているから、
男同士のたくさんの嫉妬や劣等感、そして優越感を知っているのだと思う。

やっぱりジャニーズは闇が深いと思ってしまった。

 

そして、主演を演じている中島裕翔くんも
同じHey!Say!JUMPの山田涼介くんとかと比べてしまうのだろうと思うし、
菅田将暉に勝てない演技力が、この映画のテーマをそのものを語っているかのようだった。

 

「羨ましい」と思わせるものは、人の背中についているんだと思う。
自分の背中はいつまでたっても見えないから、「自分には何もないんじゃないだろうか」と自己嫌悪に陥って、「他人を羨ましい」という気持ちだけが、なかなか止まない雪みたいに静かに積もっていって、「自分はダメだ」と思ってしまう。
だから、みんな「自分」を諦めて、「大人」という名の嘘の塊で身を守る。嘘の笑顔で誰かの隣に座り、嘘の言葉で居場所を作り出す。そこには本当の自分なんかいないかもしれないのに、これでいいのだと自分の気持ちに魔法をかける。
でも、どんなに弱い自分を見つけてしまっても、どんなに嘘で守ろうとしても、人は自分の可能性に夢を見ている。嘘偽りのない本当の自分で、どこまでだって行けるのだと夢見てる。それは夢なんかじゃなくて、背中についているはずの見えない翼は、きっとどこにだって連れてってくれるはずなんだ。
リバちゃんを見て、そんなことを考えた。

 

 

芸能界の闇と言える場所が登場するのだが、
「やっぱりこのような場所が本当にあるのか」と考えるより、
「これをなんで書こうと思ったのか」を考えることの方が私には怖かった。
芸能界とうんと離れた場所にいる私には、芸能界って汚れているイメージが、やっぱりあって、加藤くんはそういうイメージを「その通りだよ」って言ってるわけで、それをあんなにも真っ直ぐに伝えられることが怖い。「助けて」と聞こえる気がして怖い。私はそこから誰も助けてあげられないことにまた絶望するしかない。

 

 

アイドルたちのキラキラした笑顔の奥で、その瞳は「もう汚いものなんか見たくない助けて」「どうか本当の僕を必要だと言ってくれ」と泣いているのではないかと、悲しくなって、映画見終わった後、何時間も呆然としてしまった。

 

 

 

ピンクとグレー (角川文庫)

ピンクとグレー (角川文庫)

 

 

今度、小説も読んでみたい。