鏡を見て誰かを思い出すなら、その誰かは好きな人だと思う

みなさんは、化粧鏡や全身鏡などなど、鏡を見る時に、何を思いますか?

 

私はネガティブ思考が大変得意なので、
「ああ、可愛く生まれたかったな」とか
「化粧崩れたな、最悪」とか
「太ったな、ほんと私ダメ人間だな」とか、
94%くらいネガティブなこと思うのですが、
それと同時に誰かを思い出すんです。
誰かを思い出さないことなんかないんじゃないかってくらい、誰かを思い出すんです。
鏡には1人で映るのが常なのに、鏡は1人じゃ生きていけないことを知ってるみたいに、誰かを想ってしまうのです。


それは、これから会う友達だったり、私はもう何年もいないけど片思いの人とか、さらにもう何年もいないけど恋人とか…あ…なんか悲しくなってきた……はあ…
まあ大体の人が「友達」「恋人(片思いの人)」「家族」「上司や先輩、後輩、仲間、同僚」を思い出すと思うんです。
「今の私は、ちょっとは可愛く見えるかな?」「隣にいて、少しでも誇らしいと思ってくれるかな?」「肌荒れてる。心配されるかな?」「この服だとガッカリされちゃうかな?」なんて、乙女のポリシーを持たせてくれて、いつでも「誰か」の代わりに背中を押してくれたり、叱咤してくれる存在が鏡だと思うんです。

そして、思い出す「誰か」は、「自分が好きな人」という共通性を持っていると思うんです。

 

鏡を見て思い出す「誰か」は、身近な人だけじゃないと思うんです。
私は会うことは、ほとんどないし、むしろ会ったことないことがほとんどだけど、思い出してしまう好きな人がいます。

それが、芸能人です。

「ああ、石原さとみみたいになれたらな」とか「新垣結衣みたいなメイクしようかな」とか思うのももちろんです。
ですが、人生の94%くらいは妄想で生きてる私は、「今日、芸能人と運命的に会って、友達になる」とか「実は仲良しでこれから会う」などとしょうもない設定を常に考えています。
そして、身近な人に思うのと同じく、「今の私は、ちょっとは可愛く見えるかな?」「隣にいて、少しでも誇らしいと思ってくれるかな?」などと思うのです。
「その顔でよくそんな勘違い妄想できるな」と、我ながら、かなり気持ち悪いので、どうかこの世にテレパスがいないことを願う毎日です。

 

最近、鏡を見て思い出す芸能人が増えました。
今まで、女性芸能人だけだったのに、ジャニーズという男性が現れて、いい歳のくせに、鏡に照れてます。やっぱり我ながら気持ち悪いし、何度鏡を見ても可愛くはならないので、本当に私の前にジャニーズが現れないことを祈るばかりです。(握手会など会えるイベントは参加したくない派)

 

「そのままの自分を好きになってくれない人と一緒にいても仕方ない」

宇多田ヒカルが言っていたことに対する意見がツイッター上で少し炎上していました。宇多田ヒカルの言うことに「よく言い切った!」と拍手喝采する人もいたし、「私たちはいつだって、等身大じゃどうしようもない自分を精一杯飾ってきたじゃないか。その頑張ってきた自分は間違いだと言うのか」と拍手喝采する人たちの存在を悲しんでいる人もいました。私はヒッキーの言葉にも「私もそう思う」と言いたいし、「自分を飾ることを誇りに思う」という人たちにも「私もそう思う」を送りたい。

鏡を見ていて、隣にいる誰かの想像をして、少しでも可愛く見せようとか、誇らしく思わせようとか、背伸びをしたり、精一杯飾っている私たちは、いつだって「そのままの自分じゃ、ダメ」だと思っていて、だから、笑顔は何度でも使うし、敬語だって覚えるし、「誰か」に話すために面白いネタはないのかとネットも徘徊する。 

 

「そのままの自分」を好きだという「誰か」がいたのなら、それはとても幸せなことだと思います。だけど、「好き」だから、「もっと好きになって欲しい」から、やっぱり私は鏡を見ながら、「これじゃダメ」と思い、何度でも「そのままの自分」を飾ってしまうと思うんです。

我ながらなんとも愛おしい行為ではないだろうか。

 

そもそも「そのままの自分」とは一体なんなのか?
鏡に映るスッピンの自分も、「そのままの自分」じゃないのだろうか?
わからないほど、私は私を飾りすぎてしまった。

 

だけど、自分を飾る数が増えたり、飾る質が上がっていくのは、
それだけ「好きな人」が増えたということ。
それが私には、ただただ嬉しい。