不変という夢を見続けて

あの子が髪を切っていた。

可愛い可愛い可愛いと飽きずに何度も思ったけど、そこにはもう神楽木晴はいないのだと思うと、可愛いと思うたびに、寂しさがこだまする。

 

この世に不変はあるのだろうか。
似たような毎日も、ひねれば水が流れる蛇口も、夜になれば照らしてくれる丸い月も、雲の向こうの青空も、何も変わっていないとは思えない。
だけど、私はいつだって、変わらないものを探してしまう。誰かが、何かが、何も変わらずに、そこにいてくれるのだと思いたい。変わらない毎日につまらないと嘆きながら、明日が何も変わらず来ることを頑なに願っている。

 

渋谷すばる関ジャニ∞の隣に「最後」という文字が並ぶニュースが最近目立つ。
その文字を見るたびに、不変や永遠という言葉は本当は存在しないのだと、泣きたくなる。最後という言葉は、もう次はない、もう見られないという意味で、そう私にこっそり悲しい約束をしてくる。したくもない約束をしてくる。言葉なんていつもそうだ。いつも勝手だ。

 

いくら言葉で表されても、これが最後ではないのだと、また同じ光景が見られるのだと、私はいつでも信じてしまう。不変なんてないってわかっているのに、いつでも私は不変を夢見てる。

 

SMAPだって、いつかは5人がまた揃うのだと信じているし、モーニング娘。のOGが楽しそうに歌うみたいに、私が好きだった光景に、見慣れた景色に、最後なんかないのだと、いつだって信じてる。人は叶わない夢だと笑うのだろうか。

 

だけど、不変なんかどこにもない。
今日と同じ明日は永遠にこないし、大好きな人たちは一生懸命変わろうと努力している。だから、私は大好きなんだ。頑張って生きた今日も、まだまだだと歩き続ける人たちも、変わってしまうから、大好きなんだ。いつかは無くなってしまうから、愛おしいんだ。

 

不変はどこにもない。
不変は私のワガママな夢だ。叶わない夢だ。私のことなんか置いて行って、どんどんステキを磨いたらいい。

ただ私は願う。
変わってしまった後も、幸せだけは変わらず続くことを。これだけは叶えさせてくれ。